0101 ビッグオーダー part2
2008年の中ごろはその巨額注文のお客様1人の存在だけで大きな粗利益を上げられていたのだが、滞りなく毎月同じように注文が入り続けることは考えていなかった。良き予測を立てることよりも悪い予測を立て、それに備えるという性格の持ち主の私には当然であり、相手先の都合もあるだろうからいずれ声が掛からなくなるということは肝に銘じていた。
毎日の新規注文を増やさなければ今後も売り上げを伸ばして自社の存亡を気にすることがないほどの安全圏の位置に付くことはままならない。今日は晴れでも明日は雨、そのように考えていたので翌月を迎えることにいつも戦々恐々としていた。2008年そんな私の心中を知ってか知らずか世界経済の水面下では史上前例を見ない衝撃的大事件に突き進んでいった。
未だにサブプライムローンの燻りから脱することができずにいた米国金融機関であったが、その中でもリーマンブラザーズが国家支援の要請で協議に入っているという報道が一部で流れていた。そのころには株価もだいぶ値を下げていたが、知人とリーマンブラザーズがやばいらしいね。という話を気軽にしていたことを覚えている。当の企業の詳細を良く知ることはなかったが、アメリカの超一流名門銀行であるということは理解していたので世界屈指の大企業も一筋縄ではいかない大変なご時勢だなと思っていたがまさか潰れるとは思ってもいなかった。そしてXデーとなった、9月15日、何度も流れたあのリーマンブラザーズ倒産の本社ビルから社員が次々と去っていく光景を見つめて驚くとともに、彼らはややもすれば億単位を稼ぐ超エリートだったかもしれない。それが今回の解雇によって行き着く先が数千万単位の報酬の職に着いたとして、庶民感覚からすれば考えられない高額な水準であっても大変な落胆を覚えるのであろう。
きっと一人一人が全米、そして世界中から集まったトップクラスの優秀な金融マンであり実際にこんな風貌でこんな顔をしているのか、なるほどなんとなく頭が良さそうだとも思えるしそれは超名門リーマンブラザーズというイメージから来る先入観であるのかもしれない。私服の人も多かったので見た目だけでは何とも推し量りがたかった。彼らの内情を知ることはできないが、テレビに映しだされる映像を見ながら憧れである究極の人物像に思いを馳せていた。
方やようやく赤字を脱し人並みに稼げるようになった自分と比較しては天と地との差が生じてしまうが、それでも低位から上り調子に転じた立場と超高度から高度へ転落する立場とではどちらが幸せなのかとシニカルな気分に浸ったものだった。それから連日のようにアメリカの金融危機が報じられるようになり、次から次へと名門銀行、保険会社、投資会社などの危機的状況が報道された。リーマン倒産直後は株も為替相場も小康状態を保っていたように思えていたが、未曾有の巨額損失が少しずつ露呈するに従いアメリカ合衆国経済が崖っぷちに立たされ、自己責任原則で潰すのか金融システム保護の観点から救済するべきかの世論が分裂した米議会動向などは見ていてスリルがあった。しかも一度は救済法案が否決などされたものだからそこから金融市場はジェットコースターのように信じられないスピードで奈落の底へ落ちていった。
それが2008年の10月のことで、ある日朝起きたら我が目を疑った。ドル円は5円以上暴落し、ポンド円なども9円近く下げている。しかも日経平均株価が700円超安という表示に、ポジション保有者を気の毒に思うとともに世界経済の将来を心から心配した。
感傷的にそう思うのもつかの間、当社には円高による注文が早くも殺到し始めていた。このころになると連日の注文金額が仕入れに追いつかなくなってき始めており、お客様からの入金過多の状態で1日の仕入れすべき金額が不足し、帳尻がつかぬまま営業日をまたいでしまっていた。しかし、決済しているレートは確定しているので、次の日の仕入れレートが円安ドル高つまり割高なレートになっていると損失ないしは利益が剥落してしまう恐れがあった。しかしながらこの年の10月は毎日のようにドル円が下がり続けていた。ドル円が下がれば下がるほど注文は増えるが、仕入れが細っていくというもどかしいジレンマにも陥っていた。せっかくレートを確定して入金まで完了している注文でも当日に決済ができず明日のレートに仕入れを持ち越せざる得ない場合はドル円が上がらないことをただ願うのみであった。取引上ではお客様とレートを確定して入荷があるまで待ってもらうという姿勢で何とか営業を続けていたが、全額仕入れができないまま翌日を迎えても結果的にはさらに仕入れレートが下がっていったので幸いにも逸失利益になってしまうことはなかった。そしてお客様のほとんどの方が今すぐドルが欲しいというのではなく、安いレートのドルが欲しいという目的の方が大半だったので受け渡しの期日にはかなりの猶予をもらうことができた。
利益は確実に蓄積していっているはずであったが、そんなことは計算することもできずにとにかく仕入れを確保して決済をこなしていくしかない状態であった。それは自転車操業のようないびつなものであったように思えるが決して負の連鎖である非生産的なものではなく、入金額が肥大していく一方で仕入れとして消化できない不安が常にストレスではあったが、ドル円が大きく反発することもなく仕入先の業者さんも協力していただいたお陰で時間はかかったがトラブルもなく注文を逐一執行していた。
なによりも毎日ドル円が上がらずになるべく安いレートで緩やかな市場の動きが好ましいと、政治家や閣僚が発言するとおり私の商売においても全く同感な思いで市場を固唾を飲んで見守っていた。そんな激動の受注の嵐の中においてまたしても例の神奈川のお客様が巨額注文を入れてきたのだった。円高時の仕入れは他の受注も含めて非常に難しかったが、お客様と仕入先とに連絡を密に取り合って比較的落ち着いた時点で数十万ドル単位の仕入れが確保でき確定することができた。再び大きい手数料収入を上げることができ嬉々として受け渡しに向かった。数千万円単位の現金の受け渡しなので銀行の応接室を借り、札束の山を交換しあった。何度目かの取引だったので緊張もなくお互い満足のいくものだったが、最後に「もう4千万円分のドルが欲しい」と告げられた。「またですか!」と喉元まできて叫びだしそうになったが、一方では私の頭の中での商魂に瞬く間に火がついた。なぜならその注文には、今日のレート以下で確定したいという要望が条件であったからだった。
当然私はすぐに仕入先に連絡をとってみたが、連日連夜の円高ドル安でどこからも多くの引き合いがあり、在庫が尽きているとのことで現物を確保することができなかった。しかしお客様は今日の安いレートでなければこの注文はださないと言っている、明日になり円安ドル高に反転したら注文は無効となる。どうすればいいか、しかし方法はあった。私は予てから考えていたが一度も実行したことがない為替のヘッジを思いついていた。現物のドル在庫は尽きることがあっても為替市場での金融取引におけるドル買いに流動性の限りはない。これしかないとすでに頭の中では決断していた。証券会社の外国為替部門で勤めていた知識があってこその起点の利いた戦略だった。自分はプロだ、この期に及んで凡人なら行き詰って袋小路にハマるであろう壁を、いとも簡単に対策を思いつき実行できるだけの技量と器を兼ね備えている。まさに外貨両替ビジネスと為替相場の教養を網羅している歪んだプロ意識の思い込みが自分を酔わし始めていた。さらに拍車をかけたのが売り上げ至上主義として心に染み付いたハングリー精神だった。100年に一度の円高である、98年の金融自由化以降誰も経験したことの無い暴力的な円高市場は外貨両替事業を営んでいる私にとっては起業3年目にして彗星のごとく掴んだ、もう二度と来ることはないであろうと思える今年3月依頼のビックチャンスであった。事業が軌道に乗らずにもがき苦しんだ果てに挫折した、あの辛酸をなめ続けた苦しい日々に力いっぱいの一矢を報いてやるのだ。一般の注文件数と合わせてこの巨額注文を実現させれば、前人未到の巨利をたたき出すことができる。
興奮しながら、取引を終えた日本円を40分近くかかってATMに入金しながら、帰りの電車の中でシナリオを描いていた。そこにリスクという概念は存在していなかった。40万ドル分の取引ではあるが、お客様からは50万円の預かり金を得ているし、もし為替ヘッジをしてさらに円高になっても、いずれはそのさらに安いレートの水準で在庫を確保できればヘッジの損と仕入れの差額で通算できる。必ずやこのハードルを乗り越えて人生最大級の月商を実現させてやると野心を燃やし息巻いていた。実際に問題となるであろう事態は仕入れがいつできるかということと円安に向かい注文が立ち消えになる機会損失、この二つしか考えられなかった。だから私はこの為替ヘッジのプランを自分のFX口座を使用し実行に移したのだった。
ご存知のとおりFXでは少ない資金で高額の為替取引ができる。私は会社を退職してから今まで不労所得獲得の欲を出し投機取引を繰り返していたのだが、勤めていたにも関わらず何度も損失を出して懲り懲りしていた。しかし今回は仕事上での利益確保の作業であると言い聞かせ、未だかつてない高額ロットでの注文をクリックし40万ドルのドル買いポジションを持った。幸いにしてこの日朝に決定された仲値とはほぼ変わらない為替水準で推移していたので、皮肉にも私のシナリオどおりにエピローグは事を済んだ。市場でドル買いをしたので後は明日以降円安に触れたとしても問題はない、円高が多少進んでもなんとかなるだろう。今のドル円は暴れ過ぎだ、明日くらい1日でいいから落ち着いてくれと切に願いながら1日を終えた。